上野英里 インタビュー

―上野さんは主に、YouTubeで舞台演劇の映像を観て作品化しているわけですが、舞台はずっと好きだったんですか?

ずっとYouTubeで海外の舞台ばかり観てました。歴史を追いながら。
もともと海外ドラマが好きで、日本に来て翻訳されたりするのを待っていられなくて、直接海外のドラマ観たさに23歳頃から英語の勉強を始めました。
2017年には三ヵ月イギリスのブライトンに留学して、二週間に一度ぐらいのペースで、ナショナルシアターなどで生の舞台を鑑賞してました。ただ安い席なので、舞台の上の人物は点にしか見えませんでしたね。

―YouTubeにこだわる理由は?

複数のカメラを使って、アングルやショットにこだわったハイビジョンで録画された映像より、ある場所から定点カメラで撮影された映像の方が本物の舞台を観た記憶に近い。ライブ感を感じたくて、そういう映像をYouTubeで探して観てます。

―そこから絵になりそうな場面を探すわけですか?

何回も繰り返し観て、観ているうちに、例えば舞台上に木があって、人が立っているとすると、それが粗い映像の中で木か人かわからなくなる。だんだんセザンヌが描いた木のように見えてきて、これは絵にできるな、と思うんです。そこでスクリーンショットを多数撮ってその中から選んでいきます。
YouTubeの画質の粗い映像が好きなんです。人と人との境界線がなくなっているのが好き。人間の境界線がなくなっている瞬間を見たいというか…。例えば白い衣裳の複数のバックダンサーが同じポーズを決めたら、映像では横長のグネグネした何かに見える。そこが好きです。個人が消えている瞬間、人間性が消えている瞬間が好きで、主人公の話とかは二の次ですね。

―具体的にどんな風に描いていくんですか?

動画をスクリーンショットして、それをPhotoshopで編集します。どこを主題にしたいか、人と人の隊列、塊を描きたいとか。それを決めて、トーンカーブや色調整で、完成図に近い画像をPhotoshopで作ります。それを一旦白黒にして、プロジェクターでキャンバスに投射して、ざっと形をなぞっていきます。ただ、プロジェクターも鮮明に映らないので、それを写すというよりは、形の目安にしています。写真も見ながら描くけど、見すぎないようにしてます。投射したそのイメージをなぞりながら、テレピン油で形を少しずつ抜いていってますね、消しゴムで消していくように。ここまでが一つ目のレイヤー。
二つ目のレイヤーは、筆のストロークやマチエールを作ります。形を整えながら。
三つめは、2、3mmの分厚い絵の具を乗せます。もともと分厚く絵の具を乗せられない性分なので、無駄な絵の具は乗せずに、引き算で描いていく感じですね。

―プロジェクターを使う理由は?

写真から、人間をそのままデッサンしようと思えば割と簡単にできます。でもそこに、人間という概念が出ちゃう。自分の中にある人間の顔や形を描いてしまう。
プロジェクターを使う理由は、もっとモヤっとした人間でない形をそのまま画面に貼りつけたいんです。これは「腕」だと意識して描くと、「腕」を描いてしまうので、プロジェクターを映すことで、もっと抽象的な形になって、例えば指が5本でも6本でも気にならない。
私は足もよく描くんですが、靴とか爪先は描かない。それはあくまでプロジェクターが作り出す不明確なイメージと、偶然に出るマチエールを使って描いているからです。

―作品によってキャンバスをきちんと木枠に巻いているものと、余白を大きく残してるものとがありますね。

端から端まで絵の具があると、どうしてもその絵の主題に目が行きがちですよね。私は余白やレイヤー(マチエールなど)を見せることで、主題から目を逸らしたいんです。絵の中に引き込まれてほしくない。
例えば映画館で映画を観ている時、人が画面を横切ると画面に影が出来てみんな怒りますよね。映像が縦伸びしていたら気になってイラつく。せっかく没入していた物語から現実へ引き戻されてしまう。同じように、絵画でも完璧な長方形でない、ただの布だよと現実に引き戻されて物語を忘れてほしいんです。これは人が並んでいる絵じゃなくて、オレンジと黒のモヤが入り乱れてるモノとして魅せたい。
本来はキャンバスを木枠に巻きたくなくて。余白をとっているものの方がのびのび描けます。でも今後については悩み中ですね。

―今回、「ひとりじゃない」という展覧会のタイトルですが、そこに込めた意図は?

一言で言えば、「代わりはいくらでもいるんだよ」ということです。
『コーラスライン』というミュージカルのフィナーレの場面で、8人のダンサーが演出で鏡に近づいていくと、鏡だと思っていたところから同じ格好をした分身みたいな人が出てきて16人になり、どんどん増えていくんです。「She is the one」という歌詞を歌いながら、同じ格好の人たちが出てくるっていう皮肉なんですね。この歌詞が好きで、これを少しひねって今回のタイトルにしました。
「ひとりじゃない」って、一見希望に満ちた言葉みたいですけど、皮肉を込めたかった。でも真っ暗で、希望が無さすぎるのも嫌で、日本語でキャッチ―なタイトルにしたかったんです。

―ちなみに、好きな舞台の作品は?

『キャバレー』です。映画の方は好きじゃなくて、サム・メンデスが演出した舞台が好きです。一番最初に描いたドローイングも『キャバレー』からでした。
ミュージカルの振付師で、ダンサーで、映画監督でもあるボブ・フォッシーも好きです。今回の展覧会DMの表紙の作品(下記画像参照)は彼の『スイート・チャリティー』という映画の場面からきてます。
『CATS』とか『ラ・ラ・ランド』はダメで、ブラックジョークとか皮肉っぽいものをよく観ます。映画より舞台が好きですね。映画でもミュージカル映画をよく観ますし。

―舞台の魅力って何ですか?

例えばサム・メンデスが演出した『リーマン・トリロジー』という4時間の舞台があるんですが、俳優3人とピアノの人が1人いるだけの舞台で、セットもすごくシンプルなんですが、活気づいたニューヨークの街が後ろに本当にあるように感じられるんです。その瞬間が好きです。見えないものを見えるようにするっていうか。何千万円かけたセットよりもミニマムな設定が好きです。棒一本でいろんなことを表現するとか。ある舞台で、絞首刑の場面があって、ただロープが上から下に落ちるだけでその場面を描いてるんですよね。

―なるほど。では最後に、今回の展覧会について一言、お願いします。

個性って必要なんだろうかと思うんです。あなたの代わりはいくらでもいるんだから、自分探しをする意味もない。個性を消すことで生きていけることもある。私は自分の作品で、自分の考えを出そうとは思わないです。
ただ、観ていただいたお客さんには、私の絵の何に共感したか知りたいですね。その絵のどこがその人の琴線に触れたか知りたいです。

(インタビュー・文責 NODA CONTEMPORARY)


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