北上ちひろ個展に寄せて-黒坂行衡

北上ちひろ個展に寄せて

北上ちひろの画面には、大胆な色彩のうねりがあり、一見それは力強い筆の流れを表しているかのようだが、その描線は強固な意志を持って存在するというよりは、どこか不安定で脆弱で頼りない筆致に見える。
原色をほとんど使っていない画面は、淡く不鮮明で朧げであり、どこか儚くて捉えどころがない。それは手探り状態のまま観るものをも巻き込んでいく。成熟を拒否し、終わらない青春を生きようとする少女のように、それが必然であるかのような説得力と覚悟を持って。

描かれているものにはっきりとした像はなく、いくつかの不定形なフォルムと色彩が組み合わされて、複雑な層を成している。例えば、かわいいものをかわいく描くという単純な表現ではなく、かわいいと思う感情の揺れ、その一瞬の機微、心のメカニズムをキャンバスに刻印し、瞬間的な「かわいい」を永遠に封じ込めてしまいたい、という無邪気で切実な祈りが画面を満たしていて、それが独特な余韻を残す。

世の中にはかわいいものが溢れている。かわいい表現というものも無数にある。北上ちひろもその「かわいい」に取り憑かれてしまった多くの人々の中の一人だ。しかし、彼女を捉えて離さないのは、かわいいものに触れた時の自身の心の動きではないか。彼女が反復して描き続ける世界は単にかわいい表象だけではなく、かわいいと感じるその神秘的で不明瞭な感覚そのもので、それは結果的に抽象表現にならざるをえない。いわば「かわいい抽象画」とでも呼ぶべき新鮮な表現の可能性がそこにある。その筆致の不確定さ、拙さまでもが、「かわいい」に取り憑かれてしまったものの幸福と途惑いの表現なのだ。

黒坂行衡(NODA CONTEMPORARY)

NODA CONTEMPORARY

TEL 052-249-3155